中村天風一日一話

3月1日「本能の妄動を制御する」

人間の運命というものは、油断すると、常に本能と手を組んで歩こうとしてしているものなんだ。そして、消極的な出来事はたえず、不用意な人々の周囲を徘徊しているんだよ。だから、外部運命の力をほどよく制御したいならば、自己の本能の妄動を正しく制御しなければならない。

2月29日「すべては心の働き」

何よりも一番先に考えなければならないのは、心なんです。なぜかというと、月を見ても、花を見ても、仕事をしても、遊ぶのでも、すべてそれを心が認識してこそその生きがいでしょう。

麻雀した、トランプした、面白いなあと思うのは、みんな心でしょう。おいしいものを食べて、「ああ、おいしかった」と思うのも心で、肉体ではないでしょう。肉体が味わう感覚を、意識の中に思い浮かべるのは心の働き何です。

うれしいもの、楽しいもの、辛いのも、悲しいのも、みんな心なんです。

2月28日「不平不満を口にしない」

どんな場合があっても不平不満を口にしないこと。この不平不満が心の中にあると、どうしてもその言葉が積極的になりません。

不平不満のある人は、しじゅう上ばかり見て、下を見ないでいる。はたはみんな幸福で、自分だけがこの世の中で一番不幸な人間のように考えている。この考え方から出てくる言葉は、必ず未練であり、愚痴であり、もう価値のない世迷いごとだけであります。

2月27日「内省検討」

日常の人生を生きる際に、どんな些細な人事、世事に対しても、いま現在の自分の心は積極的かしらん、消極的かしらんということを、厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要なのであります。

そして、少しでも自分の心のなかかに消極的なものを感じたならば、断然それを心のなかから追い出してしまわなければならない。己れの心のなかにあるものは、己れの心を明るく、朗らかにするもののみ、という心がけが必要なんです。

2月26日「普遍愛は絶対真理」

不偏愛は今さらの発見でも創意でもなく、この宇宙創世のときからの絶対真理である。

だからこそ、この世にある宗教のすべてが愛の情けを最大に重視して、その協議のプリンシブルとしているのである。

2月25日「うつくしさと調和」

絶対調和の状態こそ、美というもののほんとうの姿なので、調和の無いところに完全のないのと同様に、調和のないところにほんとうの美はないのである。もっと極言すれば、うつくしいという言葉はしっくりと調和しているという言葉の代名詞で、さらにうつくしいというのは完全だということにもなるのである。

どんな思想でも主義でも、また計画でも設計でも、調和を無視し没却された考慮では、とうていその完成は現実化されないのが当然の真理なのである。

2月24日「私心なき言行」

人と人との世界に活きるお互い人間は、どんな場合にも、お互いの間柄を。天風教義のディクラレーション(宣言)にも宣言してある通り、つねにいかなる場合にも、偏りのない公平で美しい愛情と、真の誠実さを心として尊い思い遣りで助け合うという、いわゆる文字どうり親切本位で共に活きることが最高の理想であらねばならない。

しかも、それを真に現実化するには、要するには私心のない言行が、何をおいても必要とされる。

 

2月23日「事業の成功」

私が事業家にいいたいのは、ここど。

自分の欲望のみでもって、しようとしたことは、そうめったに成功するものではない。事業に成功するのは、自分が欲望から離れて、何かを考えときに、また、その考えたことを実行したときに成功するのだ。同じ事業家でも、欲の固まりでやる者と、「この仕事で、世の中の人のために、本当に役立つものを提供しよう」という気持ちでやるとでは、その結果が全然違うのである。

2月22日「悟りについて」

悟りというのは、自分の心が真理を感じたときの状態をいうのである。したがって、真理を、自分の努力で自分の心で感じるのも、人の悟りを耳から聞いて自分の心に受け入れるのも、受け入れ方に相違があるだけである。受け取ってしまえばその結果は同じである。

真理を受け入れるときの心の態度が、悟りを開く上に密接な関係があるからこそ、安定打座で心をきれいにさせているのである。

 

安定打座の瞑想とは

心を無念無想にして宇宙エネルギーと一体となることを目的としています。

安定打座の瞑想のやりかた

1.長続きする姿勢で坐り、肩の力を抜き、背筋を伸ばし、あごを引きます。

2.目を閉じて、手は双輪の印を組み、下腹(丹田)の前に置きます。

3.ブザー音を聞きながら雑念が浮かぶ状態から心を1点に集めていきます。

4.ブザー音が消えるのに合わせて、無心の境地に入って行きます。

5.音が消えた静寂のなかで心を無の境地へ持っていきます。(雑念が浮かんだら傍観しまた無へ戻るの繰り返し)

2月21日「完全なる人生」

完全なる人生とは、これを要約すれば、生命の現実存在を明確に意識するその瞬間瞬間を、何の不満感も、いささかの不平感をも感じずして、いつもよろこびに活きられている状態の人生をいうのである。

2月20日「まことの我は命そのもの」

「我ありと、感ずる我は、仮の我、まことの我は、見えず、感ぜず」

これは日本の禅家の歌ですが、ヨーガの哲学のほうは、もう少し崩れた言い方しています。

「我ありと思えるものは仮の我、まことの我は命そのもの」

命そのものを働かせているものが自分なんだ。肉体が命そのものを働かせているんじゃない。命そのものの力が肉体を今している。

2月19日「睡眠について」

睡眠を真に催した時に睡眠し、然らざる時には睡眠するべく無駄な努力を為さぬのが最も聡明なのである。

いろいろの方法や手段を講じて無理にも眠ろうと、あれこれと種々の努力をしてもなかなか思うように眠れないものである。それは、何かして眠ろうと焦れば焦るほど、神経が興奮するためで、その上にかかる無駄な努力をすると、勢力の二重疲労を招来する結果に陥るのである。

2月18日「清濁併せ呑む寛容さ」

たとえ自分自身の心が積極心になりえたとしても、自己の心の状態を基準として、他人の心を推し量ることがあっては絶対にいけない。より分かりやすく言うと、自分に対しては常に厳しくあらねばならないが、これを他人に押しつけてはいけないのである。すなわち他人に対しては、清濁併せ呑むという寛容さを持つことである。もしもこれを失うと、他人との勝ち負けにこだわる心が瞬時に現れてきて、積極心の保持を妨害するからである。

2月17日「心は用具である」

心というものの実際の消息は、あくまでも人生を完全に生存生活させていくための用具であるから、絶対にこれに使われてはならない。

だからこそ、何はともあれ常に、人生に対する精神態度を徹底的に積極的にして、いかなる場合にもその精神態度が絶対的積極化という、尊厳なる状態に到達するよう心してその践行に努力すべきである。

2月15日「一生は一生」

実際! 凡下の徒輩として活きても、一生は一生である。

さりながら、再び生まれ能わざる人生と知らば、しかず、真人として活きずんばである。

2月14日「認識力の養成と自己統御」

認識力の養成ということと自己統制ということとは、一体どんな関係があるのだろうか。これを簡単に説明すれば認識力を適当に涵養しないと、心の固有する知覚作用が正確さを失い、その当然の帰結として正しい自覚とか、あるいは悟りとかまたは第六感というような、いわゆる高級意識に属する精神作用が低調になり、ひいては完全な自己統制ということが充分よく行えなくなるという、人生に対する重大な事実があるのです。

2月13日「生活方式の過ち」

現代、中高年者ばかりでなく、若い人々の中にも病弱者が多い。その根本原因は、その生活方式の過ちを是正しないため生命の活力が減少したからである。

現代人が、その生活方式に正しき自覚と反省とをもたないのは、人間の生命本来の実消息を正常に理解しないからである。それは、生命を判断する時、心や肉体を生命の本体と思い込み、それが真我の生命の相対要具であることを没却しているがためである。

2月12日「生命の力」

「人生建設に絶対的に必要とする生命の力」とはどんなものかというと、次の六つに分類することができる。

(1)体力(2)胆力(3)精力(4)能力(5)判断力(6)断行力である。

この六つの力のいずれか一つでも欠乏し、または不完全であると、人生の根本理想は根底から覆されることになるのは必至であるのを見逃すことはできない。

2月11日「一度に二つは思えない」

心ってものは、苦しまないときは喜んでいるんだ。人間の心というのは、一度に二つのことは思えない。苦しがって7いるときは、楽しがっていることが引っ込んじまう。楽しがっているときは、苦しがっていることが引っ込んじまう。両方いっぺんにはむりだろ?

2月10日「何も考えずに寝る」

眠りにつくまでの間に、何も考えないで眠りに入るのがほんとうの理想なんです。それができないのであれば、夜の寝際、できるだけ昼間関係した消極的なことを思い出さないようにすることであります。

夜の寝際の心は「特別無条件同化暗示感受習性」という状態になっていて、ちょいとでも、考えたことはパーッとセイン在意識に刻印されちまうんだ。だから、昼間どんな腹の立つことや悲しいことに関係した場合であろうとも、夜の寝際の心の中は断然それを持ち込んじゃいけないの。

2月9日「考え方が人生を分かつ」

心が、積極か、あるいは消極かで、人生に対する考え方がぜんぜん両極端に相違してきてしまう。心が積極的であれば、人生はどんな場合も明朗、颯爽溌剌、勢いの満ちたものになりますけれども、反対に消極的だと、人生のすべてがずっと勢いをなくしてしまいます。人生を考える自分の心が消極的だと、すべてが哀れ惨憺、光のない、惨めなものに終わりゃしませんか。

人生がたった一回かぎりである以上、たった今からでき得るかぎり完全な状態で井笠なければなりません。

2月8日「親はありがたい」

なかには親のことを悪く言うやつがある。「親も親だけども頭が古かったな」なんて。あたりまえじゃないか、そりゃ。時代が先に生まれてんだもの。親が自分より後から生まれてくりゃ、自分より頭が新しいかもしれないけどものね。そんな批評はすべきでないですよ。

とにかく、おやじの頭、古かったなあ、と思えるような頭に産んでくれた親はありがたいじゃないか。

2月7日「天風式クンバハカ法」

腹が立つこと、心配なこと、恐ろしいこと、何かにつけて感情、感覚の刺激衝動を心に感じたら、すぐ肛門を締めちまう。そして、おなかに力を込めると同時に、肩を落としてしまうんだ。

この三か所がそうした状態にされたときに初めて感情や感覚の刺激衝動が、心には感じても精神系統に影響を与えないという、いわゆる影響を減ずる効果がある。

2月6日「言葉を選択しよう」

人間が人生を生きる場合に使う言葉を、選択しなきゃダメなんですよ。一言、一言に注意してもいいくらい、いくら注意しても、あなた方はヒョイと気づかずに消極的なことを言ってますぜ。

とにかく、習いは性でありますから、人と口をきくときでも、「まいった」「へこたれた」「助けてくれ」「困っちゃった」なんてことは言わないこと。

あくまでも自分の心というものを颯爽、溌剌たる状態にしておくためには、今言ったような消極的な否定的な言葉は断然用いないこと。

2月5日「人間は万物の霊長」

ここが一番大事なことであるが、特に忘れてはならないことは、人間は、万物の中心で、宇宙根本の文派分量を最も多く頂戴しているということである。人間以外の生物が真似する事の出来ないほど、まことに多くの分量をいただいている。

このことが、人間が霊長といわれる所以なのである。

2月4日「生命の強度を保つ」

複雑多端なる人生ににおいて、常に多種多様の病的刺激や健康生活を破綻する障害が、文化が進むほど色々と形を変えて増殖してくるのは必然である。ただ漫然と、我意の赴くままに生活していれば、刺激や障害に抵抗できず、病弱になる。まして人間の生命は、発育期間を過ぎれば年と共に衰退していくのは当然である。しかし、その衰退の速度を幾分でも緩和防止して生きてこそ聡明な人生態度度といえるのだ。「常に肉体生命の強度を積極化すべく訓練的の方法を以て生活すること」である。

2月3日「人生設計について」

多く言うまでもなく、たとえば立派な建築物をつくろうには、まず、完全な設計が必要であります。

と同様に、我が人生をつくろうには、その人生設計の中から余計なものを、きれいに取り除かないとダメなんです。犬小屋みたいな設計を描いて、高層な邸宅なんかできるはずがない。

2月2日「幸福は苦悩から生まれる」

人生の幸福というものを安易な世界に求めてはいけない。言い換えれば無事平穏を幸福の目標としないということである。

本当の幸福は、多くの人が忌み嫌う苦悩というものの中にある。すなわち、その苦悩を楽しみに振り替えるところにあるのである。

苦悩を楽しみに振り替えるというのは、健康や運命の中に存在する苦悩を乗り越えて突き抜ける強さを心にもたせるということである。

2月1日「苦しみを微笑みにかえて」

悲しいことやつらいことがあった時、すぐ悲しんで、つらがってやってちゃいけないんだよ。そういうことがあった時、すぐに心に思わしめねばならないことがあるんだよ。

それは何だというと、すべての消極的な出来事は、我々の心の状態が積極的になると、もう人間に敵対する力がなくなってくるものだということなんだ。

だから、どんな場合にも心を明朗に、一切の苦しみを微笑みにかえていくようにしてごらん。悲しいこと、つらいことの方から逃げていくから。

1月31日「働くということ」

世の中の多くの人々は、働くのは、学校を卒業して就職試験に合格したからとか、あるいは生きていくために、というのが大抵の人の目的ではなからおうかと思います。

しかし、お互い人間がこうして働くのは、人間の生まれついた役目なんです。どんな身分になろうと、健康である限り、働かなくてはならないように出来ています。これ、人間として生まれた者に与えられた大きな恩恵であり、慈悲でであります。

1月30日「消極的言葉の厳禁」

絶対に消極的な言葉を使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さをもっていなければだめなんです。

1月29日「初一念貫徹による成功」

東洋の豊臣秀吉、西洋のナポレオンはわずかな年月のあいだに立派な兵馬の権を手にして天下に君臨しております。また、フランクリンやワットやエジソンのごとき、偉大な発明や発見をあえてした人々はいずれも心の態度が積極的でありました。

ですから、どんな艱難辛苦に遭遇しても、不撓不屈、その強い心で何事にも脅かされずに、よくこれを乗り越えて、そして初一念を貫徹したものであります。否、初一念を貫徹する強い心があの人たちを成功させたのであります。

1月28日「時は金よりも貴重なり」

事実を慎重に考察すると、極言すればあくびをする時間も、くしゃみをする時間も、取り返せないのである以上、瞬間といえども軽々に徒費すべきでなく、心として有意義に使って活きるべきだと厳かに自戒していただきたい。

そしてここに、時は金よりも貴重なりという真の意義も、はっきりとわかってくると思う。

1月27日「人間に年齢はない」

いいですか、私はね、人間に年齢はないと思っています。年齢を考えるから年齢があるように思うけれども、六十、七十歳になろうと、自分が十七、八歳時代と考えてみて、違っているのは体だけ。そして、もう一つ違っているのは、心の中の知識だけの話で、心そのものはちっとも変っていないはずです。

ですから、四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くはないのであります。

1月26日「心の思考が人生を創る」

可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何より大切である。特に病のときは病を忘れる努力をするべきである。一言でいうならば、「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」

心が消極的方向に動くのと、消極的方向に動くとでは、天地の相違がある。ヨガ哲学ではこれを、「心の思考が人生を創る」という言葉で表現している。

1月25日「苦しむこと」

一体現代の多くの人は、人間というものが苦しむことによって偉大になり、同時に苦しむことによって尊いものを認知し、尊いものを知りえてはじめて真に尊くなり得るのであるということを、知らないようである。

しかもそれが求めることにより願い続けることから作為されることを・・・・。

1月24日「自分とは何か」

人間、この世に生きるのに何が必要かといえば、人生に対する考え方です。これを人生観という。生きていれば絶えず何事かが、陰に陽に自分の人生を脅かす。そのときに人生観があやふやだと、惨憺たる人生を歩むことになる。だから、確固とした、確固として動かざる人生観を持つことが必要なのだ。そのためには、何をおいても、まず第一に「自分が何者か」ということがわからなければならない。

1月23日「求道とは実行である」

いくら素晴らしい教えであっても、これを実行しなければ、それは絵に描いた餅にすぎない。例えば、積極心を身につけるにあたって、感謝の念が重要であることはよく知っているはずだが、いざとなると不平不満が先行してなかなか実行が伴わない。

その点、かい出した先達に見られる求道の精神は文字通り絶対不断であった。積極心を本当に絶対的にしたければ、その手始めに、一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らないことである。

1月22日「川下だけを掃除してもだめ」

かってインドの聖者から、「お前は自分の体のことばかり考えて、つまり、川上のことはそっとのけで、川下だけを掃除しようとしている。そのことを教えてやる」と言われたんです。

つまり、心と体という、命を形成しているものの関係は、ちょうど一筋の川の流れのごとく、切れず、離れない。そうして、常にこの川の流れの川上は心で川下は肉体だということに気づいたならば、心というものはどんな場合であろうとも、積極的であらしめなければならんのは当然だ、と気づくでしょう。

1月21日「生活の情味を味わう」

生活の情味を味わわずに活きている人は、本当の人生生活はないといえる。もっと極言すれば、人間の幸いとか、不幸とかというものは、結果から言えば、生活の情味を味わって活きるか否かに所因するといえる。

貴賤貧富などというものは第二義的なものである。実際いかに唸るほど金があっても、高い地位名誉があっても、生活の情味を味わおうとしない人は、いわゆる本当の幸福を味わうことは絶対にできない。

1月20日「呼吸法」

呼吸法は単に肉体生命の生きる力に対してばかりでなく、さらに進んで高級な精神生命機能の方面にまでその効果を「およぼすことを目的として創造している。

すなわち、呼吸作用は酸素を吸って二酸化炭素を出すというような単一的な生理現象に対してでなく、よりもっと重大な人間の根源的な方面まで、密接な関係がある。

1月19日「好きなものを食べる」

 自分の好きなものを食べると神経作用が消化機能を促進し、十分吸収させる。

 好きなものを口にすると唾液や胃液が多量に分泌される。だから第一に考えるべきことはその人がその食物を好きかどうかということである。

 特に、病弱な人に対して、含まれている栄養価だけを基準にし、本人の好き嫌いなどを考えずに無理に食べさせようとすることは間違いである。ただ栄養価のみにとらわれると身体に無理をさせ、活力の減退を引き起こす。

1月18日「精神的な筋骨を鍛える」

人間の能力は、どんなことにも気を打ち込んで行う、ちょっと見ると、とても平凡なような心構えから実現される。

従って、どんな小さなことでもおろそかにしないという心構えを実行し、真剣に気を打ち込んで何事にも当たるという心がけを切磋琢磨し、完全に精神的に筋骨を鍛え上げるようにしなければならない。

1月17日「毎朝、心から感謝する」

まず第一に、毎朝目が覚めたら「今日もまた活きていたことに心から感謝する」ということを、今日一日の生命への出発の第一歩とすること。

大抵の人は、毎朝目が覚めることを、当然のことであるかのように考えている。ところがいつ何時どんなことで、自己の命が失われるかもしれない。また実際において、いつかは絶対に目覚めぬ永遠の眠りにはいってしまう時が来る・・・・という一大事を考えると、毎朝目が覚めた時、自分の活きていることを直感して刹那、限りない感謝を感じないではいられないと思う。

1月16日「人生の主人公」

二度と生まれ変わることのできない人生に生きているこの刹那刹那は、自分というものがいつも、人生の主人公でなければならない。

1月15日「家庭」

人生は笑いで過ごすことである。一家揃って・・・・・特に主人をはじめ家族の外出や帰宅の際は、一層にこにこすることが肝要である。多少の不満や不平はさらりと捨てて・・・・・況や無始無終の宇宙生命に比すれば、人の命は決して長いものではない。

従ってどんなに愛し合っても、また健康であっても、百年と一処に生活はできるものではないということに想到したら、終始一貫笑顔で睦まじく暮らすのが、最も正しい人生生活だと気づくであろう。況や、怒ったり、争ったりするために、家庭を持つのではないはずであるから・・・・・。

1月14日「思考そのものが人生」

厳格に考定すれば、人生とは、実は思考そのもなのである、否、極言すれば人生即思考ともいえるのである。これをもっと釈言すれば、思考の量と質の両者の総合現象が人生なのである。

而してこの厳粛な事実を考慮すると、かりに思考と生命との関係が、大して問題にするほど重大でないと仮定しても、叙上の如く、思考そのものが人生である以上は、およそ思考ほど人としてこの世に活きる場合これ以上重大なものはないと、厳粛に考えるべきだといわねばならない。

1月13日「自己統制」

本当に幸福な人生を生きるには自己統制を完全にしなきゃだめだ。自己統制を完全にするには、完全にする土台をなるべき認識力というものが、完全であらねばならない。認識力のほうをおいてばかりして、知識ばかり説いていると、学べば学ぶほど苦しくなり、極めりゃ極めるほど迷ってくる。なぜかというと、正しい知識を分別する力がなくなっちゃうからであります。

回帰百万遍、理屈をべらべらいうやつが、案外人生をのたうち回って生きている場合が多い。

1月12日「理想と信念」

理想には信念が必要なんですよ。信念がつかないと、万難を突破してもその理想の完成成就へと猛進しようとする力が、分裂しちまうんだ。信念がでると理想の完成成就へと勇猛邁進させる力がその心にひとりでにもたせられるというより、ついてくる。

だから、常に理想を明瞭にその心に描いて、変えないこと。しかもその理想はあとうかぎり気高いものであらなきゃいけない。つまり、理想が人間を偉大にもくだらなくもする原動力となるのである。

1月11日「欲を捨てることはできない」

天風哲学は、断固としてこう断言します。人間の欲望というものは絶対に捨てることはできないのであります。それを7捨てることのできるように説いている、釈迦もキリストもマホメットも多くの人々に、私から言わせましたら、偽りをいっているんだと遠慮なく言いたい。

私は良くなんてすてません。私と同様に真理の中で生きている立派な人間を、この地上にできるだけふやしたいという欲望で一生懸命このお仕事をやっているんだもん。

1月10日「本当の幸福」

本当の幸福とは、自分の心が感じている、平安の状態をいうのだ。いくら心身統一法を何十年やっても、幸福は向こうから飛び込んで来るのではない。自分の心が、幸福を呼ばなければ、幸福は来やしない。

だから、現在の生活の状態、境遇、環境、職業、何もかも一切のすべてを、心の底から本当に満足し、感謝して活きているとしたら、本当にその人は幸福なのである。

1月9日「自分で蒔いた種」

すべての人生の出来事は偶然に生じたものじゃありません。アクシデント(事故)というものは、自己が知る、知らないとを問わず、必ず自己が蒔いた種に花が咲き、実がなったなんです。

「活きる心構え」というものに正しい自覚が、そして反省が、常に油断なく行われていかないで生きると、ぜんぜん自分が気のつかないような悪い種を、健康的にも運命的な方面にもも巻いてしまうんです。

1月8日「悲しくば」

悲しくば あす悲しまめ 今日の日は 光うるおしく 吾れを照らすを

明日という日は、永久に来ないから、こう言ったのだ。諸君は、今夜、寝て、起きれば、明日が来る、と思っているだろう。寝て、覚めて、明日になってごらん。明日は、今日になるから。だから、明日という日は、日向の影法師と同じで、いくら追いかけてもつかまらない。だから、悲しくば明日悲しまん・・・・。明日悲しもうと思って、明日来る日、目が覚めると今日になるから、また明日になる・・・・。

1月7日「この世の中は」

この世の中は、苦しいものでも悩ましいものでもない。この世は、本質的に楽しい、うれしい、そして調和した美しい世界なのである。

1月6日「自然法則に従って生きる」

人間は自然物の一つであるからこそ、当然、自然の法則に従って生きるべきである。自然界には、その種を問わず、自然の法則に背反しているものは絶対に存在しないのが事実である。

それ故、人間は、真の健康を確立し、無病でかつ長寿でその生涯を全うするには、何をおいても自然法則に順促して生活することが鉄則である。

1月5日「やればできる」

やらなければだめだよ、何だって。やればできるんだから。俺は不器用だとか、俺は物覚えが悪いんだとか、それがいけないんだよ。

たとえ不器用だろうと物覚えが悪かろうと、十遍やって覚えなかったら百遍やってみろ。百遍やって覚えなかったら千遍やれ、そしたら覚えるから。

どんなことでも、できないことほど、できると尊いことなんだから一生懸命やれよ。そうすると、だんだんだんだん自分の生活自体が、自分の理想や希望に近い状態になってくる。

1月4日「人生を考えるということ」

現代人の考え方は、ただ生活の当面のことだけを考えて、それで人生を考えているように思っている。もっとはっきりといえば、こうやって生きている毎日、その日の生命の生活のことだけを考えるのが、何か人生の先決問題のように考えている。食うこと、着ること、儲けること、遊ぶこと。もちろんそれも必要なことだから、考えるべきものではあるかもしれない。

しかし、だからといって、それだけを考えていれば人生のすべてが解決すると思う考え方は、どうかとは思わない?

1月3日「人間だけが笑える」

笑顔を失うと、命の資本ともいうべき健康もみるみる破壊されますし、また、運命とて同様に、とかく阻まれがちとなってしまうんですよ。

西洋の諺にも「和やかな笑顔の漂うところに、運命の女神はその慈愛の手を差しのべる」というのがあります。

いったい何のために、人間だけが笑えるように出来ているのかということを、厳粛に考えなければだめですぜ。

あなた方、考えてことあるかい?

1月2日「変転極まりなきが人生」

事なき世界に生きている時の自分をいくら明瞭に認識したからといって、人生が事なき世界でもって一生を終わらせてしまうならともかく、変転極まりなきが人生の常。

何か事のあった時に慌てやしないか。思いがけない事件に出くわした時にうろたえやしないか。冷静な考え方がメチャメチャになってしまわないか。というような自分の欠点や短所を、有事の際にどんなふうだということを深く掘り下げて考えなきゃだめなんだ。そうすると、自然に自分の本当の姿というものが自分の心に映ってくる。

1月1日「生きる力」

およそ人間としてこの世に生まれ、人間として人生に活きるために、第一に知らねばならぬことは、人間の”いのち”に生まれながらにて与えられた、生きる力に対する法則である。

まこと、自分のいのちの中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して人生に活きる人は、真に、かぎりなき強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、作ろうと思わなくても出来上がってくるように出来ているのである。

それを一番にわれわれはしらねばならない。

12月31日「尊き人生の要諦とは」

金殿玉楼の中にあって暖衣飽食、なおかつ何らの感謝も感激もなく、ただあるものは不平と不満だけという哀れな人生に比較して、まことや、人生のいっさいを感謝に振り替え、感激に置き換えて活きられるならば、毅然としてそこにあるものは、高貴な価値の尊い人生ではなおでしょうか!

否、こうした心がけの現実実行こそ、活きる刹那刹那に、なんとも形容のできない微妙な感興おのずから心の中に生じ来たり、どんなときにも生活の情味というものが当然味わわれることになる。

12月30日「時たらば着く」

たとえば、これからある所に行こうとすると時に、まだ着かない、まだ着かないという気持ちで歩いている時に、悠々として、時きたらば着くという気持ちで歩いている時と、同じ歩いている場合でも、その歩くことに対する人間の気持ちの中に、天地の相違があるだろう。

だから、理想はよしんばその理想とするところに到着しなくても、だえずその理想へ意志するという気持ちを変えないことが、人生を尊く生かすことなんだ。

12月29日「人間らしい活き方」

そもそも、人間の人間らしい活き方とは、多くを言うまでもなく心身の統一である。すなわち心という〇と肉体という〇とが、相結ばって◎となった生き方である。

12月28日「宇宙の心、人間の心」

宇宙という大生命の流れと人間の心が一つになれば、ここに初めて生命の本体も本質も分明してきて、当然の帰結としてこの宇宙の心が真善美以外の何ものでもなく、そして同時に人間の心の本質(本然の姿)もまた、真善美以外の何ものでもないことがわかってくる。

12月27日「心に映像を描け」

およそ人間の心のなかの思念というものが、それはすごい魔力のような力をもっているものであるこということをもっともっと真実に、確信的に忘れないようにしなけりゃいけないんだよ。

絶え間なく映像化される想像という心の作用に良き刺激をを与えて、そしてそれをピンボケにしなければ、黙っていても信念の力は強固になって、あらゆるすべてを現実化する。

つまり、潜在意識の力を活用する、特に効果のある方法は、絶え間なく心に映像を描くことなんだ。

12月25日「期待するから失望する」

「まごころ」で行われる行為には絶対の強さというものがある。「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものがないからである。失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的心理現象であるがゆえに、報償が、期待通りでないと、すぐさま失望念が発生し、その行為にいわゆるムラがでてくる。したがって当然その強さというものが、ややもすると、失われがちになるのである。

12月24日「適応作用の活用」

適応作用という特殊な作用が人間の生命に、自然から与えられている。この適応作用を合理的に積極的に活用すれば、生命の衰退速度を緩和防止することができる。外界から来る各種の刺激に抵抗する肉体の生命力を強くすることができる。

しかし、適応作用は消極的習慣にも適応するので、温室作りの花のようにならないためにも、肉体生活を積極的に訓練する生活習慣におくべきである。

12月23日「人生観をコンパスに」

たいていの人が感情や理性の虜になって、貴重な人生の毎日を落ち着きのない不安定な状態で生きている。

熟練した船長が嵐の海上をいささかも慌てることなく。1個のコンパスを使って大きな船を操縦する。これと同様に、私たちは、確立した人生観をコンパスにして、外部からおびやかされない自分の一切の内的誘導力として、自己を統御して行ける。

12月22日「人から好かれる人間になる」

閻魔様が塩をなめたような顔をして人生に生きるよりは、ちょっとやそっと人から阿呆と思われてもいいから、もう少しニコニコした顔になりなさい、ねえ。 

人としてこの世界の中に生まれて一番大切なことは、人に嫌われる人間になるんでなく、好かれる人間になることだよ。どうだい、あなた方、苦虫をつぶして、へんてこな面してるやつのほうがかわいいかい?

それとも、何かなし、ニコニコしているやつのほうがかわいいか、どっちだ?

12月26日「本当の人間の姿」

正しい心理の上から厳粛に言えば、人間とは、「感情の動物」ではなく、「感情を統御し得る生物」です。これが本当の人間の姿であります。

しかるに、この本当の人間の姿だという心理の上から、厳しくあなた方の人生生活を考えてごらんなさい。感情を統御するどころか、しょっちゅう感情に追い回されていないだろうか>

2月16日「独りぎめ」

一番適切な処置は、何らかの、後ろめたさ=少しの気のとがめをも心が感じないものを言行とするのが、最も優れた要訣なので、少しでも自分の言行を弁護したり理由付けることによって釈然たらんとするのは、蓋し、それはとりもなおさず、理性の判断を直ちに本心的なもの良心的なものだと独自的に断定協調しようとする極めて価値のない、いわゆる「独りぎめ」だというてよい。